叔母(その1)

”性格の変化”で、叔母のことを思い出した。


話は逸れるが、ちょっと書いてみようと思う。




叔母は、5年以上前に、くも膜下出血で、突然倒れた。


前触れもなく、本当に突然だった。


特に、持病などもなかったと思う。


当時80歳くらいだった。




一時は、生死も危ぶまれたが、


身体は不自由になったものの、


現在も生き長らえている。




その叔母が倒れる以前のことだが、


実母を交えて3人で会食する機会が、度々あった。



叔母は、口が荒っぽい方なのだが、


だんだんと他人の悪口が増えるようになり、


わたしは、一緒に食事をするのも苦痛に感じるようになっていた。




覚えているのは、倒れる数か月前に、


病気をした知人が杖をついて歩いているのを見て、


「ああはなりたくないな!」と、


侮蔑ぎみに話していたことだ。




また、倒れる1か月前には、


「救急車に乗るようなことにはなりたくないね」


とも言っていたのは、はっきり覚えている。




しかし、それらは、叔母に降りかかってきてしまった。




他人の悪口ばかり言ってたからか、


あるいは言霊が引き寄せてしまったかどうかは


まったく分からないが、


わたしの中では、


”言葉には気を付けよう”と、


強く戒められた出来事だった。

性格の変化(その2)

義母が認知症になって、明らかに変わったことは、


”なにもやりたくない病”になったことだ。




義母は自営の仕事をしており、認知症発覚の直前まで働いていた。



その仕事を辞めたら、あれもしたいこれもしたいと、


色んなことを意気揚々と語っていた。




それが、「なにもしたくない・・・」と弱弱しい様子に変わった。




思わず、「お義母さん、あんなに色々したいって言ってたのに・・・」


と言ってしまうほどの変わりようだった。




そして、この”何もしたくない病”は、認知症になってからずっと続いているようだ。




義母は、元々が社交的な性格で、人付き合いも多かったのだが、


出かけることさえも億劫になってしまった時期があった。(初期のころ)




いまは、付き合う友人もかなり少なくなり、


たまに誘われて出かける機会があると、嬉しそうには行くのだが、


出先では寝ていることも多いそうだ。



そして、もちろんだが、出かけた記憶は一切ないのだ。

性格の変化

義母は、通帳などをこちらで管理することになっても、


あまり抵抗することはなかった。



なにかの拍子に怒りだして、


「自分で、自分のお金を管理する!」


と言ったことはあるが、初期の頃の、数回程度だったと思う。



それに対して、夫が、「そんなの無理だから」というと、


怒っているうちに、通帳のことなど忘れてしまっているようだった。



このように、認知症のはじめの頃は、感情的になることも、しばしばあった。


物を投げつけたりして、激高することもあった。


(認知症になる前も、感情豊かだったが、物を投げつけたりはなかったと思う)




それがなくなってきたのは、いつからだろうか。


ここ1、2年くらいだろうか。




たまに、わたしに対して、挑戦的な態度(笑)をみせるときもあったが、


最近は、そんなこともなくなった。



マイナスの感情はあまり出なくなり、朗らかな義母でいることが多くなった。



認知症で、性格が変わる方もいると聞いたことがある。


義母の場合は、さほど変わりはなく、怒りの感情だけが、


一時期だけ強くなっただけだったと思う。